価値ある体験とは
今日、面接を受けてきた。
カフェのバイトの面接で、この前に受けた書店のバイトの面接があまりにもあっさりしていたので、あまり準備をせずに臨んだら、割りとグイグイ聞いてきた。
ちょっとカフェをなめていたかも知れない。
まあそんな風に少し冷や汗を垂らしながら面接を終え、家に帰った。
そして母親に今日の面接のことを聞かれて
「いやー色々聞かれちゃってヒヤッとしたよー」
なんて話していたら
「どういうこと聞かれたの?」
と聞き返してきた。
「え、そりゃー、あれだよ」
と自分で言ってみたら割りと大した事じゃないような体験にしか聞こえなくなってしまった。
ここで私は思った。
「あの時に私が感じた追い詰められる感覚や冷や汗を流すような体験は、こんな程度だったのだろうか?」
いいや、確かにあの面接は私の中ではかなりヒヤヒヤするような体験だったはずだ。
となると、なぜ文章化した途端、こうも大した事じゃないような体験に聞こえてしまうのだろうか。
それはおそらく私が体験の感情部分のみ記憶していて、事実部分の記憶が欠落していたからだと思う。
それはアイスクリームを食べて、「美味しかった」と言う感想しか言えず、どういうふうに美味しかったのかとかなぜ美味しかったのかとかの、"その感情"に至るまでの論理が欠落しているのと似ている。
そしてこれが、大した物事を経験していないがそれについて魅力的に語れる人と、一般的にみてすごい経験をしていながらそれについてあまり魅力的な話ができない人との差ではないかと思った。
これが私がこのブログを始めようと思ったキッカケだ。
このブログを通して、自分がこれからするであろう体験を魅力のあるものに変えてゆく力を付けていけたらと思うので、拙い文章ですが、もし暇があれば今後も読んでみてください。
ではまた。